「映画と天皇」という映画祭で「新しい神様」を観てきた

下調べなく見に行ける時間帯だったから観たわけだけど、テーマの天皇とは関係なく、自分が見たいものをみることができてとても幸運な出会いだったと思う。

 

日芸映画祭『映画と天皇』

 

 

第二次性徴期は自我の目覚めの時期でもあるけれど、その時期に多くの人が考える”自分は何のために生きているのか”、”生きる意味とは何か”ということに疑問を持ち考え始めることと思います。

これには答えはないのだけど一部のまじめで素直な人はこの問いにはまってしまう気がしていて、この映画の始まりは主役である雨宮さんのそんな独白で幕を開けました。

 

まじめで素直だと学校生活うまくやっていけそうだと思いきや、そういう子ほど問題を抱え込みやすい気がしていて、雨宮さんは居場所が無かったと言っています。

 

 

問題はその後にそういう子どもたちがどこに居場所を見付けるかということで、雨宮さんの場合はそれが政治活動だったということでした。

 

恐らく見ていた人の多くはその意識は無かったと思うけれど私の視点ではこのことがとても大事なポイントで、それが本作に出会えて良かったと思っている点です。

 

 

その後も個人的には映画の主題である政治活動についてはそれほど印象は無く、雨宮さんを中心とした出演者の悩みであったり想いであったりという言葉がとても心に響いて、本当に良いドキュメンタリー作品だったと思います。

 

政治活動については雨宮さんが語っていた「政治活動に関わっている人達って社会に居場所が無い人達の集まりっていう感じがする」といった感じの言葉がまさにその通りだと思っていて、私には意義は見いだせない。

 

ただ、雨宮さんは自分が生きる意味を国に尽くすこと、それが究極の拠り所だと考えて、政治活動は自分の使命、天命なんだといった話が前半良く出てきて、そういう人たちの気持ちがよく分かったということです。

 

 

最後の方で出演者の一人である監督が「雨宮さんは自分の意見が無いと言っているけれど良く考えているし自分の考えを主張できていると思う」といった感想を述べられていますが、私もそう感じました。

 

彼女が悩みとしているところは自分の考えが人の意見で容易に変わってしまう、それが自分の考えが無いという評価に繋がっているのかなとも思うのですが、それで正しいのだと思います。

 

 

映画のまとめとしては、右翼・左翼ではなく日本やなんとなく意味もなく生きていることに対して、生きることはどういうことなのかを真剣に考えたい・話し合いたいという生き方を記録したドキュメンタリーでした。

 

何より私もそういう人間なので、今後の人生に価値ある作品だったと思います。

 

 

ちなみにその後のトークショウの情報から調べたら主演の雨宮処凛さんは今は社会活動寄りの事をしているようではありますが、Wikipediaを見る限りでは映画の中でも言っていた「政治団体の頭数にされている」ところから抜け出せていないようにも思えます。

 

雨宮処凛 - Wikipedia

 

何を拠り所にするかは難しいですね。

一番は両親がうまく導いてあげることだと思いますが、すべてそれでうまくいくものでもないですし。

 

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